こんにちは、京大生性欲ブロガーのふりしゅんです。
この記事では、このブログの核となっている『性欲』について、ふりしゅんがどのような経緯で今の信念をもつようにいたったのか、ということを書いていきます。
僕はゲイであり、元セックス依存者でもあります、そしてこれらも僕の信念を形成していく行く上で非常に重要な要素となっています。
当時のありのままを自分をつづったため、一部過激な表現も入っています。
その点をご理解いただける方のみ、この先にお進みください。
この記事の中身
性に対する意識が始まったのは小学校1年生
僕の性に対する意識が芽生え始めたのは、小学校1年生でした。
といっても、思春期に抱くような激しい意識でなく、男と女というものをなんとなく感じ始めた、というくらいです。
あなたは、小学1年生のころ、どんな生活を送っていましたか?
男の人なら、放課後に公園での野球や家でのゲームを通して男友達と遊んだり、野球やサッカーといったスポーツクラブに通っていたりしたのではないでしょうか。
ふりしゅんはというと、そのような活発な男子小学生とは無縁の生活をしていました。
うちの母が教育熱心だったため、いわゆる英才教育というものを受けていました。
英会話、ピアノ・エレクトーン、テニス、日本舞踊、などなど。
今思い返しても、本当にいろんな習い事をさせられたなーと思います。
(まあ、ピアノで絶対音感が手に入ったことを除けば、この時に受けた習い事はほとんど役立っていないのですが笑)
この多くの習い事たちが、僕が性のことを意識しだすきっかけとなりました。
なぜかというと、上にあげた習い事たちは全て
ふりしゅん以外全員女子、あるいは女子の割合が非常に高かった
からです。
他の小学校の男友達たちは、同性と遊んでいるのに、僕は、女の子たちに囲まれて習い事に通っている。
他の男の子たちは同性の子たちといるのが当たり前なのに、僕は女の子たちと一緒にいるのが普通だ。
もちろんこの時期に明確に性別のことを大きく気にしていたわけではないのですが、潜在的にこういった違和感を感じていたのだと思います。
ゲイとしての自分が生まれた、小学6年の冬
ここから、一部過激な表現が入ります。
突然ですが、あなたはいつ精通をしましたか?
人によって様々だとはおもいますが、大抵の場合中学生か高校生だと思います。
先輩に言われて、その通りにしてみたらいつの間にか精通をしていた、という場合がほとんどかと。
ふりしゅんはいつだったかというと、小6の12月。
中学受験を目前にひかえつつ、何かしなきゃなと思いつつやる気が起こらなく、手持ちぶさただった時ですね。
どういう状況で精通に至ったのかまでよく覚えています。
ふりしゅんは、昔も今もずっと体型がやせ型で、どうやったら男らしい体つきになるのか、ということにはずっと興味とコンプレックスがありました。
そういった中で、自分がもっていた携帯で
「男の裸」
というキーワードで検索しました。
(僕の習い事の行き帰りの連絡のために、携帯は持たされていました。しかも、両親が電子機器に疎かったため、サイト閲覧制限は一切かかっていない状態で。笑)
すると、検索の3,4番目くらいに「裸の男」というゲイ動画のサイトがありました。僕はそのサイトがどんな内容のサイトなのかをよくわからずにアクセス。
そうして出てきたのは、全裸の男が下半身を愛撫している動画。
何を思ったか僕は、これを真似しようと自分の下半身を触ってみることに。
触っているうちにだんだん下半身が変な感覚になり、ついには射精。
その時の感覚が忘れられず、以降定期的に携帯でそのサイトを検索しては男の裸体を見ながら射精するようになりました。

ゲイであることを強く意識するようになり、性から離れられなくなる中学生時代
ここからは、あなたの学生生活と比べながら読んでいくと分かりやすいかと思います。
中学生になると、多かれ少なかれ男と女というものを意識するようになってきたのではないでしょうか。
特に、男の人が異性の裸やエロい姿を見ることに強い興奮を覚えるようになるのもこの時期かと。
しかしふりしゅんは、異性に対し全く魅力を抱きませんでした。
小学校時代から異性と一緒にいることが当たり前すぎて、みんなが何に興奮しているのか、全く理解できなかったんです。
むしろ、今まで身近にいることのなかった男達が自分の周りにわんさかいるほうが、ふりしゅんにとってはドキドキものでした。
だから、体育の着替えの時間は目のやり場に困っていました。

そんな形で、まわりの友達とは明らかに興奮する対象が違うんだ、ということを中学の時に強く認識するようになりました。
友達と恋愛の話をするにしても、いまいち話の輪に入れない。
しかも中学生なんてそういう恋愛ものにはメチャクチャ感度が高いもので、恋愛話なんてしょっちゅうありました。
それ故に、自分の恋愛における考え方が周りと全く違う、ということを、嫌でも毎日感じざるをえませんでした。
自分のような人達のことをゲイ(あるいは同性愛者)と呼ぶことは、この時期に知りました。
しかし、ゲイであることを周りに公表できるようになったのは、また大学生になってからのお話。
この時はまだ誰にも話せなかったため、その気持ちを自慰行為で押しつぶす日々が続きました。
しかし、そういった日々は、自分の中で性別・性欲といったもの自体への興味をもつきっかけになりました。
より性の世界に足を踏み入れた、高校生活
高校に入り、よくも悪くも性の世界、そして自分の性に対する考えはどんどん広がっていきました。
大きく分けて3つの変化がありました。
まず1つめは、自分がゲイであることに対し、本当に少しですが肯定的な気持ちを持てるようになったことです。
ふりしゅんが通っていた高校は、共学にも関わらず、異性同士で話すのは恋人だけ、という謎の風潮がありました。
もし異性と話そうものなら、その異性のことが好きなんだとあらぬ噂をかけられるという理不尽仕様。
その中で、相変わらず女子と話すことに何の抵抗も抱かず気さくに振舞っていたふりしゅんは、いつの間にか男子女子双方から異性への伝言を任されるようになりました。
女友だちに言われた言葉で、今でも印象に残っている言葉があります。それは、
「男子にも女子も気兼ねなくふりしゅん君は、もう男子でも女子でもなく、ふりしゅんっていう第3の性別だよ!笑」
という言葉です。
そういう捉え方もあるのか、と思わず感心してしまいました。
確かに自分はゲイだからこそ普通の男みたいな考え方はできない。
けど、その分異性と話すことに対しては、他の男の人に比べて明らかに得意である。
これはこれで、自分のひとつの個性としてとらえてもいいのではないか。
何気ない女の子の一言によって、ゲイであることも悪いことばかりではないな、と思えるようになりました。

2つめは、同性との初めての性行為を経験したことです。
相手は同級生の男友達。
とはいえ別に恋愛感情があったわけではありません。
口による性器への刺激(いわゆるフェラというものです)にお互い興味があったため、「相互にやってみようか」、という若気の至りでやったものでした。
その時に得られた快感は、一人でやってた時のそれとは比べ物になりませんでした。
しかし、僕にとってその刺激はあまりにも強烈すぎるものでした。
そして3つ目が、同性間の出会い系アプリを使い始めるようになったということです。
あまりにも強烈だった初めての性行為の後、ふりしゅんはどうしてもその時の快感が忘れられず、もう一回やってほしいと何度もせがむようになりました。
その友達は異性愛者だったので、当然やることを渋りました。
もしやって欲しいなら一回10,000円出せ、と宣言してまでやることを防がれました。
まあこれが異性愛者の人からすれば当然の反応だと思います。「なんでわざわざ、何も興奮しない男の下半身を何度も加えなければいけないいんだ」と。笑
やり場を失った性欲を、ふりしゅんはどこにぶつけたか。
それが、同性愛者用の出会い系アプリです。
今でこそ異性の出会いの場として出会い系アプリはよく使われるようになってきましたが
自分のセクシャリティを公にすることが困難だった同性愛者の間では、そういったアプリは10年近く前から既に出会いの主要ツールでした。
しかも、異性愛者間での出会い系アプリと違い、同性愛者間のアプリは男であっても基本無料で使えるという大きな利点があります。
だから、お金がなくとも、時間さえかければ出会うこと自体は簡単にできます。
当然性的刺激に飢えていた当時の僕がそんな魅力的なアプリをスルーするはずがなく、どんどんハマっていきました。
もちろん本来はも18歳以上じゃないと使えないのですが、ふりしゅんのスマホはフィルタリングが一切されていなかったので、18歳と偽ってそのアプリに登録しました。
見知らぬ人達とチャットをして、会う約束をして色々と楽しんで。
この時期は、「性欲をコントロールする・抑える」なんてこととは無縁でした。

このように、高校時代は、よくも悪くも、性に対する様々な経験をしました。
自分がゲイであることに対しては、多少なりとも肯定的な気持ちを持てるようになりました。
しかしそれ以上に、性欲の歯止めが効かなくなり始めたのも高校時代だと思います。
このような性欲の暴走に関しては、学校での教育に一因があったんじゃないかと考えています。
おそらく、のではないかと考えています。
ふりしゅんもその友達もみんな性のことに興味を持っていたのに、なぜか学校教育では性に関することがタブー視されていました。(恐らく今もそうなのでしょう)
それ故に、十分な性に対する知識と考え方を身につけられず、自分でもよくわからない方向に暴走してしまった。僕にはそう思えてなりません。
仮面浪人時、性に対する「なぜ」に興味がわくように
実はふりしゅん、京大にストレートで入ったわけではありません。一年間、私立の大学で仮面浪人をしていました。
ふりしゅんは大学生活をエンジョイしつつ、京大に確実に合格できる力をつけたいという願望を持っていたので、「いかに効率的に成績をあげられるか」は自分にとって死活問題でした。
そのため、勉強法に関する本を読み漁り、「科学的に成果が出ている効率のよい勉強法」を習得し、最短で成績を爆上げして京大に合格しました。
(勉強法に関する話は、将来的に別のブログで書こうかと思いますが、このブログでは大きくとりあげません。)
このような、様々なことを体験した仮面浪人の中で、
と興味をもつようになりました。
勉強法を確立させる際、成果が出ると科学的に証明されている、という事実は、自分を納得させ安心する上で非常に大切なカギでした。
(高校までは、なぜその勉強のやり方がいいかなんて説明できず、ずっと不安を抱え続けていましたから)
その経験の中で、性に関しても、自分の衝動や性的指向に関して科学的に納得できれば、少しは自分を制御できるんじゃないか、と思うきっかけとなりました。
ここがふりしゅんの性欲制御への考え方における1つのターニングポイントだったのは間違いないです。
(とはいえ、この時期は受験と大学生活のどううまく両立させるかで頭がいっぱいで、そんなことを深く考える時間はなかったんですけど笑)
続きは後編にて
ここまでで前編は終わりです。
- 小学校時代に性のことを意識しだす
- 中学校時代に自分がゲイだと自覚する
- 高校時代に、性欲の暴走の片鱗が見られるようになった
- 仮面浪人時代の受験を通して、科学的に性を考えたいという興味がわき始める
まだこの段階では、性欲の強さに関して、うっすらと考えることはあっても、深刻に悩むことはまだありませんでした。
しかし、ここで生まれた様々な火種は、大学生活をする中で自分を苦しむ大きな原因となっています。
そして、その葛藤が、性欲のコントロール方法を習得する大きなきっかけになりました。
後編にて詳しく語ります。
性欲に対する様々な葛藤を経てたどり着いた、ふりしゅんの信念。